夢を語るのが嫌いだ

夢はあっても語ったらダメ

 以前このブログで「人というのはもともと夢なんて持たないのではないか。」と言ったが現実には夢を持つ人が多いので、この意見は正しくないことになる。(僕は一時思ったことでも、改めて考えてみて自分の意見が違っていたなら平気で矛盾することを言います。)

 人が夢を持つのは全然悪いことではない。夢のためにバイトをしてそのお金で生活しながら努力するのも全然悪いことではない。

 しかし、その努力や自分の夢を語ったらいきなりその人間が胡散臭くなる。(と僕は感じた。)

 ここ2年ぐらい、夢を語る人たちを多く見てきた。やっぱりそう人はなぜか分からないけど胡散臭く見えた。恐らく、僕が心の中で「どうせ叶わないよ」と思っているからだろう。多分みんなも思っているだろうう。これが本音だ。

 さらにその夢の話を聞いても、僕はただ「気を遣う」だけなのである。つまり、夢の話=どっかのつまらんウンチク話 ぐらいつまらないのである。他人の夢の話はつまらん。自分の夢を語っても言いことないよ。

 

夢を語らないと良いことが起こるよ

 人は自分が言った発言を実行して他人に「どや~」とひけらかしたい欲がある。本田圭祐とか。そうすると脳の選択肢が一気に狭まる。その心理は簡単で、「~をしてやる!」と公言してしまったからそれをしないと!となる。

 本当は夢があっても心にとどめて「夢など無いよ。」と言えば、その夢に飽きてしまっても柔軟に変更可能だし、沢山の夢を掛け持ちすることも可能なのだ。なぜなら他人に言っていないので、自分の夢を変更しても「あいつ挫折したらしいよ」と監視する他人がいないからだ。非常に楽じゃん!

 つまり夢を語ることなど、自分にとっても他人にとっても良いことが1つもないのである。百害あって一利なしだ。