なぜ大人は新しいことを習得するのが遅くなるか

子供のころ

 子供のころは、「まずはやってみる」という環境が自然と大人たちによって用意された。例えば今は、子供にプログラミングを教える親が増えていると聞く。そのとき子供たちは開発環境、PCの購入およびスペックの選定などを考えずに済む。すると、とりあえず触れてみるだけになる。とりあえず触れてみることは、ほかのことを配慮しないので習得スピードは上がる。なぜなら無駄なことを考えずにコードを決められたとおりに組んでいくため感覚のみが養われる。その感覚はセンスになって習得スピードは、努力によりえげつない成長になる可能性を秘めている。

 大人になるとそれは全然違ってくる。まずPCの開発環境の準備、どのようにして学んでいくか、いかに早く上達するか、周りのレベルと比べて自分はどうか、この程度のレベルで職業になるか。いろいろと考える。

 そのため情報が多いのである。情報が多いと人は、いらない情報を排除するスピードが速くなる。すると「前日に覚えたメソッドの使い方を忘れた。。。おれセンスないな」という状態になる。それは当然なのである。

 いくら考えても、もともとの感覚が養われていないので習得が遅いのは当たり前なのである。だから気にすることはない。

 

順番が違う

 あらゆることで僕は「感覚を養う→努力→努力→努力」なのだと思う。

 それが大人になると、時間的制限や見栄、はやく上手くなりたいという欲から「努力→努力→努力」そしてその間に感覚が養われるだろうと考える。(それが効率よく上達するには一番早いの方法だ)。しかし、ほんとはこれでは感覚が養われないと思う。なぜなら、子供より頭の良い大人が挫折をするのに、大人より知識がない子供がぐんぐん上達するというおかしな現象が古今東西で起こる。(俺にはセンスがないんだ。。となる)

 

右脳をつかってイメージを養いまくること

 まず新しいことにチャレンジするには、右脳を使うことが良いと思っている。左脳はいったん置いておこう。

 たとえばプログラミングのメソッドを擬人化してお絵かきしてみたり、ただただそのメソッドを同じ使い方をして何回も打ちまくるとか。

 なにも考えなくていい。感覚だけをまずは養えばいい。極論目をつむって、そのメソッドをうまく使ってコードを組むなどレベルにまで到達できるくらいに。

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 そんなことはほっておこう。俺らには知ったこっちゃないのである。

 まずは、ただ打つだけである。