他人を許すという行為

のちに自分を許せることになる

 人には多かれ少なかれ「嫌な行為」がある。例えば僕なら、男性が女性に甘い言葉で数うちゃ当たる作戦をしていると「この人嫌だな~」と思うし、僕の話をちゃんと聞いてくれようとしない人にも嫌悪感はある。

 しかしここでそれらの行為をいちいち批判していると、心の中は憎しみが多くなるし、人間関係もギクシャクしてくる。

 なので、「他人を許す」ことが大切になってくる。だが、人はそう簡単に他人の卑劣な行為を許すことはできない。だからTwitterでは炎上するし、街では殺人すらおこる。

 ある有名な作家さんが、「なんか胡散臭いには、理由がある」的な記事を書いていた。その記事によると、いつも綺麗事をいう人は「なんか胡散臭い」。それには理由があり、人間は「善い行い」をしたら善ポイントが溜まり、もしも悪いことをしてしまった時にその善ポイントを消費することで自己肯定しようとするらしい。(自分は意識していないことが多いが)

 ではこれを参考にして発想を変えてみたらどうだろう。他人の「卑劣な行為」を許すことは、未来に起こりうるかもしれない自分の「卑劣な行為」を自分で許せるために、今は他人を許しておくことにしよう。と考えると意外と許せる。

 そして自分に対しても寛容的になり、いままで許せなかった憎しみの心は、自然と無くなり心に「ゆとり」が生まれるのである。

 

ゆとりが生まれるとうまくいく

 人は精神的に窮屈な状態にあると悪い運を引き寄せるようにできている。それは誰しも経験していることだろう。人ごみにイライラし、周りを不快にさせ「トラブル」につながる原因をつくる。気持ちが萎えていると、無気力になり体の調子が不調になり、外見にも吹き出物がでたり、ひげを処理しないなどの症状がでる。

 こころにゆとりがあると、その逆の現象がおこりやすい。満員電車でもイライラせずトラブルをおこさない。しっかりとひげを剃り、髪形を気にする。

 つまり他人を許せるということは良いこと尽くめなのである。他人を許すことで、周りからは寛容で責任感のある人などと評価を得て、もし自分が愚かな行為をしてしまった時でも自分を許せる材料にもなるし過去に自分が許した人からは許される可能性が高く、自分のこころの調子が整うと体の調子も整う。

 以上のことから、「他人を許す」ということを僕はオススメする。