お金は重要ではないのかもしれない

世の中は金がすべてだ

 僕はこの意見には賛成派である。「綺麗事」をならべ、お金より愛!などは1ミリも思わない。

 お金は人の生活において「選択肢」を増やす最大の武器なのだ。

 しかし、日本人というのは僕もそうだが「お金をうみだす」という能力は凄く低い。それは日本の教育の仕方がいけないのか、もともとの日本人の苦手分野なのかはわからないが、とにかく「生産する」ということは苦手だ。

 

お金を追い求めるよりも

 「生産する」ことが不得意だが、「お金」を作ろうと必死に頑張るのはいいことだ。でも「お金」をベースに考えてしまう傾向がある気がする。

 そんな僕も「お金」を作るにはどうしたらいいのか。と考えている。お金ベースで考えてしまっている。

 すると、「株」や「転売」や「ネットビジネス」くらいしか思いつかないのだ。おそらくお金ベースで考えているからだろう。

 

本当はお金が重要じゃないのかも知れない

 でも最近そのように考え始めた。「もしかして、マニアックなことをしておくといいのではないか」そう考えるようになってきた。

 つまり戦う相手が少ない土俵を増やしておくのである。

 これにより「お金」が実現していた「選択肢を増やす」ということが、お金を使わずに可能になるのだ。

 人間というのは、選択肢が少ないと「先行き不安」状態が続く。つまり「リストラされたらどうしよう」という行き詰まり状態に陥って、人間としての幅が狭まる。それを防ぐために大事なのが「お金」であるという理論が成立している。

 しかし「お金」を生み出せる人じゃないなら、選択肢の無い狭い範囲で行動しなければいけないのか。というとそんなことないような気がしているのである。

 なるべく「戦える幅」を増やしておくことで、お金とは違う人間としての「ゆとり」を手に入れることになるのかもしれない。

 

情報社会

 現代は情報があふれている社会だ。そこでは「選択と集中」が大切で不要な情報は切り捨てる思考が正しいとされている。しかしそれではせっかくの情報社会が意味をなさない気がするのである。

 たしかに「選択と集中」により特定の分野を決め、その分野に関しての情報を得ることが容易になった点では情報社会が意味を成している。

 しかし、なぜ情報社会になっているのか、そしてその社会をうまく活用するにはどうしたらよいのか。考えてみると意外にも、これからは「選択肢をできるだけ多く持ちましょう!選択の幅を狭めてはいけませんよ。」と社会からの温かなメッセージが送られてきているのかもしれない。

 だが、「選択と集中」は大事だ。何するにおいても「バランス」が大切。バランスを考えて生きよう