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既存の仲間の輪に入るには

とりあえず、大きな声

 声というのは、顔の次に第一印象の判断に必要だ。つまり、声が大きくはっきりとしているなら、「暗い」という印象は無くなる。なので声は意識するのはもちろんだ。

 次に必要になってくるのが、「自分は面白くないんじゃないか」という無駄な考えを無くすこと。人間というのは、喋っているだけで脳が活発に働くようになっている。その証拠に、眠い時でも上司に話しかけられていると眠気が飛ぶ。

 つまり、脳が活発になると話に意識を向け交感神経が働く。なので面白いか面白くないかをあまり判断できなくなる。では、どこで「この人と話しても退屈だな~」と思うかというと、「沈黙が多い」「同じ話をする」「そもそも性格が合わない」ぐらいだ。これらは相手が話に意識を向かない分他のことに意識が行く。そしてその時間がありすぎると人間はネガティブの考えのほうを考えやすいので「退屈」と判断される。

 

面白い話題や返しをすることはまずは忘れよう

 とりあえず、テンポが大切だ。テンポを意識して話すこと。そうすると、どこかしらで面白い反応や応答ができるはずだ。質より数をこなそう。

 つまり既存の仲間の輪に入るには

 はきはきとした喋り方と、話のテンポのスピードである。話の中身や周囲の反応などは気にしないこと。シンプルイズベストを心がけよう。

 これを意識するとだいぶ変わってくるだろう。

勉強は「やらされている」くらいがいい

自分から「やってやる」だとうまくいかない

 もちろん根性のある人なら「俺がやってやるんだ!」で何年も勉強が続くだろう。そういう人は、勢いがあり、成功も大きいが失敗も大きい。

 僕が思うに勉強や何かしらの挑戦は「やらされている」精神が大切だ。誰にやらさているかは分からない。けれど、自分の心の奥底から「やらされている」と思い込むのだ。仕事でもなんでもそうだが、やらされていることは長く続く。やらされている中に熱い情熱を注ぐのだ。自分からやるんじゃない。心の奥のだれかにやらされている。この精神が大切だ。

 2回言うが、その心の奥の誰かに「やらされている」が、そこに情熱をかけれるかだ。そうすればそれは長続きして、良い結果につながるだろう。

サラリーマンは本当につまらないか

そんなことない

 サラリーマンは「金のために働いてる」、「一生働き続ける」、「夢を捨てた」など批判されることが多い。

 けれど、僕はサラリーマンが不幸ではないと思う。もちろんサラリーマンの中には、仕事にも恵まれず、人間関係にも恵まれなかった(俺のこと)人も多いだろう。確かにそれらは不幸だ。そのような職場で自分が不幸なら、それを変える努力をするべきだ。本気で3年間ほど何かをすれば、人間の人生はまるっきり変わるものだ。

 では、まず僕は金のためにサラリ―マンは働いている訳ではないと思う。「社会に取り残されないために」働くのだ。社会に取り残されることは1番の不幸だ。それを避けるためのサラリーマンだ。

 次に「一生働く」。誰がそんなことを決めたのか?別に40歳まで東京の給料が割と高めのところに就職し、地方へ移住しリタイアも全然ありだ。今は地方再生の為に、保育料無料のところなど沢山ある。なのでサラリーマンが定年まで働くなんて言うのは幻想だ。

 そして「夢を諦めた」について。確かに、サラリーマンになると、若いことの夢を持ち続けるのは難しいかもしれない。しかし、ただの「夢」だ。僕は人間の夢なんて、ただの脳の癖である「一貫性」を守るためにあるものだと思っている。(だから小さいころの夢をもち続ける人が多い。)

 サラリーマンになっても「夢」は持ち続けれるのだ。例えば、グアムで美女をナンパするんだ!なんて夢も素敵だ。そして、サラリーマンだと夢を持てないような人は、頭が柔らかくないと思う。

 

サラリーマンもそんな悪かないよ

 人それぞれ、サラリーマンもそんな悪かないよ。とだけ言いたい。

 最近サラリーマンがまた否定されがちだから。

論理上年収UP

物価が安い場所を探すだけ

 現代は、ネットビジネスやら物販やら「初心者でも簡単に稼ぐ」とあるが、初心者が簡単に稼げるはずがないのはさすがにわかるだろう。

 ものは言いようというがだとしたら、「初心者大歓迎」は「上の立場の人の食い物」の言い回しだろう。

 そんなものでたとえ稼げたとしても(せいぜい月1万くらいだろう)、確実にお金に対する欲求は満足しないし、気づいたら2,3年は無駄にするだろう。

 だが、物価が安い場所を探せば理論上すぐに年収UPできる。例えば、ショッピングモールで流通しているコーラが150円だが75円で買う場所を見つければいいのだ。その場所を上手く見つけることができれば、年収2倍も夢ではないが、努力して年収1.3倍くらいあがればいいほうだろう。

 物価が安い場所を探すことができればできるほど、お金がどんどんレベルアップ(価値が上がり)していく。つまり、その諭吉さんがより輝けるのだ。

 

洋服のロゴは勝手につけてしまえばいい

 実際、洋服の生地で「あ!これユニクロだろ!」と言ってくる人はいない。どこで判断するかというと、ロゴや首のあたりについているロゴぐらいだろう。だからロゴを勝手につけてしまえばいいのだ。無地のニットにラルフローレンがつくだけで2万くらいになる世の中だ。もちろん偽って売るのはいけない。だが自分で着るだけなら問題ないでしょう。ロゴすらも自分で作れればいいと思うわけだ。

 

サラリーマンが嫌なら

まず優秀でなければいけない

 男視点でのみ考えます。

 サラリーマンとして働くのが嫌だ。しかし、そうしないと歳をとるごとに社会に取り残されて30代になったら排除だ。(30代でフリーターでも結婚できることもあるが稀だ。彼らはサラリーマンでなくとも社会に馴染む才能があったとしか言えない。)

 サラリーマンとして働くのが嫌で、かつ社会に取り残されたくない!(女性とお付き合いや、性行為をしたい)という人は少なくないと思う。僕もそうだ。

 ではどうしたらそれができるか。年代別に考えてみる。(※前提条件として、性格はひねくれいていなく、ビジュアルも一般的で不潔ではないとする。)

 

 まず20代前半、この時期はビジュアルと性格が大切だ。周りの女性も、結婚を考えていないためそこが重要なのだ。なのでフリーターでも非常に気楽に生きれる時期だ。

 そして20代後半。この時期になってくると次第にフリーターの場合相手にされなくなってくる。この時期にフリーターとして気楽に生きるために大事なのが、「平均よりも抜きんでたスキル」、「少しの実績」、「他人からの承認」およびビジュアル。この条件があれば社会に少しの遅れを取るが、まだ排除されない。つまり、この時点で一般人よりも優秀でなければいけないのである。ここでこの条件がクリアできないなら早く就職しよう!それが君を幸福にする。ホリエモンとかの言葉に惑わされてはいけない

 問題は30代だ。いくら優秀でも、安定した収入と貯金がモノをいう時期だ。この時期にサラリーマンとしてでなく、ほかの何かで安定した収入と貯金を作る必要があるのだ。それができないなら社会から排除される。間違えなく。そして最悪の場合、夢も仕事もなく、彼女もいない状況になり生きている理由が無くなる。

 

 つまり、サラリーマンではなくても、20代前半のような気楽な生活をしたいのであれば、25歳の時には平均よりも優秀な何かを持ちすこしの実績を上げていて、30歳の時には安定した収入を確保すればいいのである。簡単にまとめたがこれができないから息苦しいのである。しかし、それができないのなら優秀な人が勝負するその戦場で落ちこぼれたことになるので、おとなしくサラリーマンとして社会にすがりつくのが得策だ。

夢を語るのが嫌いだ

夢はあっても語ったらダメ

 以前このブログで「人というのはもともと夢なんて持たないのではないか。」と言ったが現実には夢を持つ人が多いので、この意見は正しくないことになる。(僕は一時思ったことでも、改めて考えてみて自分の意見が違っていたなら平気で矛盾することを言います。)

 人が夢を持つのは全然悪いことではない。夢のためにバイトをしてそのお金で生活しながら努力するのも全然悪いことではない。

 しかし、その努力や自分の夢を語ったらいきなりその人間が胡散臭くなる。(と僕は感じた。)

 ここ2年ぐらい、夢を語る人たちを多く見てきた。やっぱりそう人はなぜか分からないけど胡散臭く見えた。恐らく、僕が心の中で「どうせ叶わないよ」と思っているからだろう。多分みんなも思っているだろうう。これが本音だ。

 さらにその夢の話を聞いても、僕はただ「気を遣う」だけなのである。つまり、夢の話=どっかのつまらんウンチク話 ぐらいつまらないのである。他人の夢の話はつまらん。自分の夢を語っても言いことないよ。

 

夢を語らないと良いことが起こるよ

 人は自分が言った発言を実行して他人に「どや~」とひけらかしたい欲がある。本田圭祐とか。そうすると脳の選択肢が一気に狭まる。その心理は簡単で、「~をしてやる!」と公言してしまったからそれをしないと!となる。

 本当は夢があっても心にとどめて「夢など無いよ。」と言えば、その夢に飽きてしまっても柔軟に変更可能だし、沢山の夢を掛け持ちすることも可能なのだ。なぜなら他人に言っていないので、自分の夢を変更しても「あいつ挫折したらしいよ」と監視する他人がいないからだ。非常に楽じゃん!

 つまり夢を語ることなど、自分にとっても他人にとっても良いことが1つもないのである。百害あって一利なしだ。

「嫌われる勇気」が流行っているが

社会的地位を確立している人のための考え方だ

 最近アドラー心理学についての本「嫌われる勇気」が流行っている。もしくは流行っていた。3か月前くらいに本屋に入るとすぐ目につくような店が多かった記憶がある。

 僕も1年前くらいにその本を実際に読んでいて、「人は引きこもりが嫌で治したいと考えてはいるが、本当は引きこもり生活が一番楽だと感じているから引きこもっている。」だとか、「俺の言ったことをどう受け止めるかは、それを聞いた人たちの課題であり、それについて悩む必要はない」だとか。ホリエモン的考え方が結構強い気がした。

 けど僕が思うに、これは世間一般人が真似して良い考え方ではないと思う。トランプ氏やホリエモン橋下徹さんのように言いたいことをずっばと一般人が言ってもただ嫌われるだけだ。さらに他人と意見の違いが生まれ、他人と自分を分別するようになり、生活の幅が狭まる。

 社会的地位を確立していてる場合とは全然違うのである。彼らは僕ら一般人とは違う世界観の中に生きている。一般人は、橋下徹さんやトランプ氏のように「ずっば」と物事を時には厳しく怒鳴ったりして、自分の意見を言う人に憧れているが、それは自分の身の丈に合っていない。中学生がブランド物をただつけて街を徘徊しているのと同じで、身の丈に合っていないのである。

 

ずっばと意見を言える人=かっこいいが今の時代の主流

 いまの主流はそれだと思う。だからトランプ氏や橋下徹さん、ホリエモンなどに人気が沸く。だから出世したいのならば、businessの場でのみ「嫌われる勇気」を持って「ずっば」と意見を言えばいいのである。私生活にまでそのような思想を持ち込むことはナンセンスだし、バランスが悪い。メリハリをつけよう。

 自分の意見に周りが全く共感してくれないと嘆くこともあるだろう。その場合は共感してくれない周りよりかは、自分の意見を熱く押し通そうとする人はそのことについて深く考えている人だとは思う。

 けれど私生活でそのように熱く問いかけても誰も答えてくれないし、引かれる。そんなメリットの無いことをするなんて馬鹿だ。

 

私生活では「嫌われないように」するのが普通だ。どうか、今の流行りに流されて「嫌われる勇気」を、僕ら一般人がはき違えないように。